上名の棒踊り
- 種別
- 無形民俗文化財
- 内容
- 民俗芸能
- 員数
- 1
- 寸法
- -
- 製作年
- 江戸時代
- 所在地
- 姶良市上名
- 所蔵者
- 上名地区
- 管理者
- 上名棒踊り保存会
- 指定年
- 昭和49年5月15日
- 解説
上名地区の棒踊りの由来については、朝鮮の役の凱旋祝いに踊られたものと言い伝えられているが、一説では、その昔大洪水で水路が決壊した際、復旧工事に来ていた串木野の住人三左衞門という人が伝授した踊りであるとも言い伝えられている。踊りは、歌い手2人、踊り手24人で構成され、最初は2列に並び、道案内(ドラ打ち)の先導で進行し、2列に並んだままで3人一組で歌に合わせて棒を打ち合う。続いて4人一組となり、腰を割ったりして打ち合い、次に「中入」が入って6人やぐらと呼ばれる6人組を作り,より一層激しく打ち合う。最後には元の2列に戻って終わる。踊り手は、男絣の着物に白タスキをかけ、白鉢巻を結び、背には5色のタスキを負い、腰に黒帯と青のねり紐を結び、黒の脚半に黒足袋・ゾウリばきという出で立ちで、それぞれ六尺棒(現在は危険防止のため五尺)を持って踊る。この踊りは、早いテンポで樫の六尺棒を激しく打ち合う勇壮な踊りで、古くは郷社黒島神社のお田植祭に豊作を祈願して奉納されていた。終戦後は一時途絶えていたが、その後青年たちの手により、復活され現在に至っている。しかしながら、次第にその青年の数も減少し、青年のみでは伝承が難しくなったので、現在では青壮年による保存会を結成してその保存伝承に努めている。 歌詞は次のとおり、お城が山は 前は大川、山たろがねは 川の瀬に住む、 焼野のきじは 岡の背に住む