高師直の子孫であり、伊丹師親と名乗り、摂津国有岡城主であったが浪人となり、泉州堺で医者となり、茶道に精通し「道甫」と号した茶人であった。関ヶ原の戦い以後、義弘に招かれて薩摩へ入り、加治木では知行160石の厚遇を受けた。寛永2年(1625)64歳で亡くなった。
伊丹道甫墓全景
道甫墓右側面
道甫墓背面
入母屋屋根細部
屋根材組み合わせ状況
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