伊勢平左衛門尉貞成は、島津義弘の家老を務め、飯野郷・吉田郷・蒲生郷の各地頭を歴任した。慶長12年肥前唐津の寺沢家嫡子との縁談破棄の使者を引き受け、帰路に寺沢家家臣によって殺された。貞成の亡骸は最初加治木城山麓の大樹寺に葬られたが、後に子孫により長年寺墓地へ改葬された。 〔墓碑刻銘〕 慶長十二丁未 傑山文勝大居士 十一月初八日
伊勢貞成墓全景
墓表刻銘
右側面刻銘・文化12年(1815)
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