水巴は加治木の立山長兵衛の娘として生まれ、名は美江といった。向江町へ嫁ぎ、三味線や俳句の才があり、伊勢の俳人春海に師事し、「洋々園水巴」と名乗り、のちに俳人蕉下庵玉笥から「千鳥庵」の号をもらった。文化2年(1805)64歳で死去した。 〔墓碑正面〕音誉妙観大姉 〔右側面〕文化二乙丑年 正月十五日 〔左側面〕賦命六十四 誹名 水巴 立山善兵衛 養母
千鳥庵水巴の墓
水巴記念句碑
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