和田円覚院墓
- 種別
- 記念物(史跡)
- 内容
- 墓
- 員数
- 1
- 寸法
- 高さ107cm×幅19cm
- 製作年
- 元和7年(1621)、江戸時代
- 所在地
- 姶良市加治木町小山田316
- 所蔵者
- 個人
- 管理者
- -
- 指定年
- 昭和42年1月18日
- 解説
和田円覚院は、島津義弘に仕えた山伏で、義弘が飯野城(えびの市)にいる頃、敵である日向伊東氏の様子を探らせた。しかし、敵方にとらわれ拷問を受けたが、正確な情報を伝えることができ、戦を有利に導いた。そのため義弘は米30石と宝刀を与えてその功績をたたえた。その後、円覚院は蒲生へ移され、蒲生城の守備につき、慶長12年(1607)義弘が加治木に移住の際、円覚院は先発として加治木城内に移り住んだ一人といわれている。元和7年(1621)5月6日、城内の屋敷で亡くなった。円覚院墓のとなりにある墓も、先発として一緒に移り住んだ貴島千左衛門の墓といわれている。