大口筋 龍門司坂
- 種別
- 記念物(史跡)
- 内容
- 史跡
- 員数
- 1
- 寸法
- 現存約487m(元延長約1500m)
- 製作年
- 江戸時代(1741年)
- 所在地
- 姶良市加治木町木田
- 所蔵者
- 姶良市
- 管理者
- 姶良市教育委員会
- 指定年
- 平成18年7月28日
- 解説
- 江戸時代の鹿児島藩内の主要街道には、鹿児島城下を起点として北上し、白銀坂を通り、加治木麓で宮崎方面に向かう「日向筋」と分岐して、大口から熊本へ向かう街道「大口筋」があった。江戸時代の鹿児島藩では、街道のことを筋と呼んだ。
龍門司坂は、加治木から霧島市溝辺につながる大口筋上の坂道である。加治木町高井田から加治木町小山田の毛上集落を結ぶ山道である。全長は約1500mと想定されるが、両端の集落に係る部分は舗装され、現存全長は、486.8mを測る。平均幅員は約4m、最大幅7mを数える。
石畳の製作年代は、『加治木古老物語』によれば、寛永12年(1635年)と記されている。また、『隅陽記』には、元禄6年(1692年)9月26日、龍門司坂が大きく崩れたため、修理するよう各村に命令があり、横川から474人、溝辺から580人、加治木から846人の作業員が動員されたと記録がある。
龍門司坂の近くには、石畳の敷設に使用された凝灰岩の「樋ノ迫石」の採石場があり、作業の安全を祈った「山神」の祠も残っており、元文6年(1741年)の刻銘がある。
明治10年2月、西南戦争の際に熊本方面を目指した数千名の薩軍兵士がこの坂を通過している。
龍門司坂実測平面図
藩内街道案内図
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