大隅国分寺跡附宮田ヶ岡瓦窯跡
- 種別
- 記念物(史跡)
- 内容
- 史跡
- 員数
- 1
- 寸法
- 1号窯全長5.8m、2号全長4.5m、3号窯全長6.34m
- 製作年
- 奈良・平安時代
- 所在地
- 姶良市船津180-3
- 所蔵者
- 姶良市
- 管理者
- 姶良市教育委員会
- 指定年
- 平成16年9月30日
- 解説
- 宮田ヶ岡瓦窯跡は、大隅国分寺の瓦を焼いた窯跡として、平成16年9月30日に国の史跡となった。
国分寺と国分尼寺の建立は天平13年(741)、聖武天皇の詔(みことのり)によるものである。仏教の力によって国家を守ることを目的として国ごとに置かれた。大隅国の場合は、「康治元年(1142)」と刻まれた、霧島市内の石造層塔のある一帯が大隅国分寺の推定地といわれているが、建立の時期は不明である。
昭和40年代前半、この周辺から布目瓦が出土することから、大隅国分寺に関連した古代の瓦窯跡ではないかと考えられてきた。当時の教育委員会では、窯跡の存在を確認し、将来の保存対策を講じるために、国や県の協力を得て、平成8~10年にかけて発掘調査を実施し、成果を報告書にまとめた。
その結果、1号から3号までの登り窯を検出し、文様をもつ軒平瓦や軒丸瓦が出土した。
1・2号窯跡は、互いに接するように築かれており大変珍しい。2号窯跡では、焚口の一部と崩壊した天井部分が確認された。
3号窯跡は、全長約7m、幅約2.1mの瓦専用窯である。他に比べ保存状態がよく、燃焼部及び焼成部の構造が分かり、当時の窯詰め状態の瓦も残っていた。傾きのある床面には、転用した平瓦や丸瓦によって重ね段が設けられ、その上に瓦を立てて窯詰めをしている。
軒平の文様は、平城京の瓦にならったもので、各地の国分寺瓦との類似性が見られる。
軒丸瓦には、単弁蓮華文の中に蓮子を配し、軒平瓦には縄目や格子目がついている。
平瓦の長さは36㎝。表には布目、裏には縄目や格子目がついている。丸瓦には玉縁式と行基式の2種類が見られる。
遺跡周辺地形図
窯跡・瓦だまり分布図
1・2号窯跡平面図
1・2号窯跡平面図断面図
3号窯跡平面図断面図
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