時期は不明であるが、もろい岩肌に磨崖仏23体が彫られている。天福寺は、島津義弘の末娘御下が庄内の乱を起こして、暗殺された夫である伊集院忠真の菩提を弔うため、娘の千鶴と一緒に再興した寺である。千鶴は松平定行へ嫁いだ。因みに天福寺が年号の天福と関係すれば、1230年代の鎌倉時代まで創建が遡ることになるが、その頃この地は加治木郷鍋倉に属していた。
天福寺跡遠景
磨崖仏計測一覧表(姶良町郷土誌より)
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