川畑道仁墓
- 種別
- 記念物(史跡)
- 内容
- 墓
- 員数
- 1
- 寸法
- H160.5㎝
- 製作年
- 明治35年(1902)
- 所在地
- 姶良市加治木町 東楽寺墓地
- 所蔵者
- 個人
- 管理者
- 個人
- 指定年
- 昭和43年9月20日
- 解説
道仁は天保7年(1836)10月に加治木町浜通りに生まれ、幼名は金太郎。藩主の島津斉彬は、鹿児島磯の集成館事業を進めるために江戸から鋳物師道也を呼び寄せた。そのころ鍋の製造が盛んであった加治木の鋳物師も集成館事業に参加しており、道也の技術指導を受けていた。鋳物師の息子であった金太郎は、生まれつきの器用さと熱心さで早くからその才能を示し、道也に師事して技術を学んだ。19歳の時に斉彬の命で道也に従って江戸へ行き、10余年間技術の研鑽習得に励んだ。このとき、「われにも勝る天下一の鋳物師である」と道也に賞賛され、自分の名の一字をとって「道仁」の名を金太郎に与えた。帰郷後、島津忠義は道仁に二人扶持三石六斗を授け、磯の島津邸の鋳物の製作に従事した。廃藩後の明治4年、道仁は加治木に帰り、鉄瓶・茶釜などを製作した。彼の作品は湯口の切り方・滴止め、中心と重心の位置・構図など細部にわたり高度な技術が生かされ、こうh迎賓としても珍重されたという。明治35年(1892)5月12日、67歳で死去した。彼の作品の一部が加治木郷土館に展示されている。