後藤塚
- 種別
- 記念物(史跡)
- 内容
- 江戸時代初期、島津義弘家臣として殉死した。
- 員数
- 1
- 寸法
- H115㎝
- 製作年
- 1619年
- 所在地
- 姶良市加治木町木田2481-3
- 所蔵者
- 姶良市
- 管理者
- 姶良市
- 指定年
- 昭和38年12月27日
- 解説
山路後藤兵衛種清は、島津義弘公逝去後に亡骸が加治木を出発する元和5年(1619)8月16日に、実窓寺磧で殉死することを約束した8人の中の一人である。帖佐からここまで来たときにすでに7人が切腹したと聞き、この地で切腹することにし、周りにいた人へ近くの石を指して、先に殉死した7人にあの世で逢えたらこの石を三つに割って見せようといい、切腹し果てたのちに石は見事に三つに割れたと言い伝えられた。傍らには、明治44年建立の加治木島津久賢撰文の記念碑がある。