日木山宝塔
- 種別
- 有形文化財(建造物)
- 内容
- 建造物
- 員数
- 2
- 寸法
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- 製作年
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- 所在地
- 姶良市加治木町日木山485
- 所蔵者
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- 管理者
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- 指定年
- 平成16年4月20日
- 解説
- 宝塔とは特定の形はなく、通常は円筒形の塔身と一重の笠石上に相輪設けた塔をいい、
供養、納経、墓等の目的に建てられた。石塔は末法思想の広まりと共に、平安時代末期
から造られた。
日木山宝塔は、「加治木氏八代親平夫婦の供養塔」とも「加治木氏九代恒平の弟 木田三郎信経夫婦の墓」とも伝えられているが定かではない。
二基とも同質の凝灰石を用いた同じ構造様式の造りで、南(小)塔には「仁治参年(1243)壬寅三月廿五日」の紀年銘があり、北(大)塔には今は風化して判読不明となったが、「寛元元年(1243)葵卯七月○日」と彫り込まれていた。南塔には金剛界四仏、北塔は胎蔵界四仏の種子(梵字)が塔身に薬研彫りで施されている。笠は上部に露盤を作り、裏側はふくらみをもって反り上がり隅垂木を作り出している。紀年銘のある宝塔として九州内で6番目に古く、県内では2番目に古い(「九州の石塔」、「鹿児島県古石塔一覧」)。高さは現存高で、円筒形の宝塔としては、九州で最も高く、欠損している相輪部分を考慮すると相当規模の大きい宝塔となる。この宝塔は紀年銘、規模、形態から、中世石塔研究の重要資料であり、鎌倉時代中期に、南九州の地方豪族・加治木氏が所有していた経済的・文化的力量を示す貴重な資料である。
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