戦国時代の元亀3年(1572)5月4日、飯野の木崎原(えびの市)の戦いにおいて、手柄を立てた島津義弘の家臣の一人である。日向の伊東軍3000人が飯野領へ侵入し、少人数の島津義弘は苦戦しながらも勇敢に戦い、伊東軍を敗走させる。この時曽木重治は壮烈な戦死を遂げ、島津軍の勝利に貢献する。
曽木重治の墓
石室上部の宝篋印塔
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