森山亨庵墓
- 種別
- 記念物(史跡)
- 内容
- ー
- 員数
- 1
- 寸法
- ー
- 製作年
- 江戸時代中期
- 所在地
- 姶良市加治木町反土 本誓寺墓地
- 所蔵者
- 個人
- 管理者
- 個人
- 指定年
- 令和7年4月8日
- 解説
- 森山亨庵は慶安2年(1649)に加治木に生まれ、幼いころから優秀であり、寛文5年(1665)に17歳で京都に赴き、医学・薬学と儒学(朱子学)を学びました。その後は加治木に帰り、病巣の根底まで治療する名医として活躍し、享保7年(1722)に74歳で亡くなりました。 墓は亨庵の孫が建立したもので、全国的にも少ない亀趺墓(亀形の台座の上に墓碑が立っている墓)で墓碑には、医道では得難い秘策を伝えたこと、儒道では誠の道を貫いたこと、兵法では諸士に十分な修練を積ませることができたこと、文芸にも秀で、多くの人に影響を与える力量であったことなど亨庵の事績が刻まれています。