椿窓院殿供養塔
- 種別
- 記念物(史跡)
- 内容
- 戦国時代、加治木領主肝付兼盛の元夫人墓
- 員数
- 1
- 寸法
- H140.5㎝
- 製作年
- 江戸時代
- 所在地
- 姶良市加治木町木田2841
- 所蔵者
- 加治木島津家
- 管理者
- 加治木島津家
- 指定年
- 昭和44年5月19日
- 解説
この供養塔は、島津忠良(日新公)の三女西姫のものである。西姫は戦国時代に加治木領主であった肝付兼盛の夫人となり、息子兼寛を生んだのち離別となり、伊作亀丸城へ帰り、天正11年(1583)に亡くなっている。肝付兼寛はのちに萩原寺(加治木中学校南)に石塔を建て、母の霊を弔った。西姫の法号「椿窓寺殿椿窓妙英大姉」に因み、萩原寺を椿窓寺と改称したので、近くには椿窓寺墓地がその名残りとして残っている。 〔正面刻銘〕椿窓寺殿椿窓妙英大姉 〔背面刻銘〕干時宝暦十一年辛巳三月朔日 当山十三世前大慈薬山捗乾道 元享謹誌
日新公御嫡女 〔右側面刻銘〕天正十一年癸未閏二月三日御之法