戦国時代の天文11年(1542)夏、島津忠良・貴久の島津軍と加治木領主であった肝付兼演との戦が始まり、真幸院領主の北原氏も大将渋谷兵庫助以下約千名で島津軍を応援したが、北原軍は大敗し、渋谷兵庫助をはじめ70余名がこの地で戦死したという。
渋谷兵庫助墓
梵字刻銘の石片
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