肝付氏の墓
- 種別
- 記念物(史跡)
- 内容
- 墓碑
- 員数
- 4
- 寸法
- H125㎝(右端墓塔)
- 製作年
- 室町時代
- 所在地
- 姶良市加治木町日木山522
- 所蔵者
- 個人
- 管理者
- 個人
- 指定年
- 昭和38年12月27日
- 解説
大永7年(1527),島津忠良は加治木城の伊地知重貞を攻め破り、戦功として肝付兼演(初代)に加治木の一部を与えた。天文3年(1534)兼演は溝辺城から加治木城へ移った。兼演は蒲生・渋谷両氏と連合して島津氏に対抗したが、天文19年(1550)に貴久へ降伏し、改めて加治木の領地をもらった。文禄4年(1595)の太閤検地で、加治木の地は豊臣秀吉の直轄領となり、4代兼三は喜入に移された。右端の墓塔は加治木肝付3代兼寛(利翁守益庵主)のものという。