蒲生城跡
- 種別
- 記念物(史跡)
- 内容
- ー
- 員数
- ー
- 寸法
- ー
- 製作年
- 保安4年(1123)~
- 所在地
- 姶良市蒲生町久末字龍ヶ山ほか
- 所蔵者
- 姶良市
- 管理者
- 姶良市教育委員会
- 指定年
- 平成30年5月14日
- 解説
- 蒲生城は、蒲生氏初代舜清が保安4年(1123)に蒲生・吉田の惣領職に転じた際に築城された。 蒲生氏は代々蒲生城を居城とし、18代蒲生範清の時に祁答院良重と共に島津貴久(義弘の父)と戦った。 弘治2年(1556)、島津貴久は蒲生氏の支城である松阪城を攻め落とし、蒲生城に軍勢を押し進め、翌年4月20日、籠城していた蒲生範清は城に火を放ち退去し蒲生氏の18代435年に及ぶ時代は終了した。 その後、島津氏は蒲生地頭として比志島美濃守国守を置き、領内各地から多くの衆中を蒲生に移し戦後の経営を行った。 また、慶長5年(1600)の関ケ原合戦後には、島津義弘が徳川方の加藤清正や黒田如水らの侵攻に備え、新たに荒平新城を築くなど、城郭が再整備されたといわれる。