蕉下庵玉笥(しょうかあんぎょくし)は江戸の人であり、松尾芭蕉の足跡を慕って松島や象潟辺を訪れるうちに、諸国行脚の放浪の旅に出た言われる。宝暦・明和の頃、加治木にたどり着き、天明2年(1782)2月9日死去、享年50歳であった。俳諧の師弟に恵まれ、追悼の句として千鳥庵水巴を筆頭に21句が刻まれている。「名は代々に 残れどおしや 散る紅葉」水巴
玉笥の墓
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