運誉上人は、戦国時代の天正12年(1584)島原の法然寺から八代の荘厳寺へ移り、翌年島津義弘に拝謁している。彼は天正16年(1588)に薩摩へ移り、栗野や鹿児島城下の住職を経て筑後へ行ったが、慶長16年(1611)に加治木の本誓寺開山として迎えられた。本誓寺には島津義弘や家久が来訪し、和歌を詠んでいる。
運誉上人の墓
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